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福岡地方裁判所 昭和44年(ワ)918号 判決

原告

川口キミエ

外三名

右四名訴訟代理人

元村和安

被告

右代表者

田中伊三次

右指定代理人

大串俊二

外三名

主文

被告は原告川口キミエに対し金一六四万七、〇四五円、原告川口洋子、原告川口恭子および原告川口敏行に対し各金九一万四、六九六円ならびに右各金員に対する昭和四四年四月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの負担、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、請求の趣旨

被告は原告川口キミエに対し金五八二万八、四〇〇円、同洋子、同恭子および同敏行に対し各金二一〇万九、四〇〇円ならびに右各金員に対する昭和四四年四月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1  (事故の発生)

訴外亡川口行男は昭和四四年四月六日午前〇時二〇分頃、普通乗用自動車(ダツトサン)を運転して福岡県筑紫野市(元筑紫郡筑紫野町)大字諸田二〇九番地の一附近国道三号線上を久留米方面から福岡市方面へ向けて進行中、同所に設置してある諸田橋の橋際から橋下に転落し、そのため死亡した。

2  (責任原因)

右諸田橋の幅員は道路幅より2.6メートル狭いため、久留米市方面から道路左側部分を直進すると、同橋の欄干に衝突するか、あるいは、橋を外れて橋下に転落するというような位置関係にある。

従つて、久留米市方面から進行して右橋にさしかかる車両の安全を確保するためには、橋の幅員が道路のそよれり狭くなつていることを予め認識しうるような設備すなわち橋のかかり口の手前に右の橋の状況を照らしうる照明設備を設置し、また、遠方から認識できるようなガードレールを設置し、もつて車両が橋下に転落することを防止し、あるいは、進路手前に先の方で道路が狭くなる旨を予告する道路標識を設置する等の措置が必要であつたのに、右橋付近路上にはこれらの設備がなかつたから右道路の管理には瑕疵があつたものである。

かくて、被告は右道路の管理者として国家賠償法第二条第一項により、本件事故によつて亡行男および原告らが蒙つた損害を賠償する責任がある。

3  (損害)

(一) 亡行男の得べかりし利益

同人の年収は一六八万円で、その生活費は多くとも年四八万円であつた。また、同人は死亡当時五〇才で、その就労可能年数は一三年であつたから、ホフマン式計算法により中間利息を控除した現価を求めると、一、一七八万五、二〇〇円(計算式1,200,000×9.821=11,785,200)となる。

(二) 原告らの慰藉料

原告キミエは大正一五年一〇月三〇日生れの女子で亡行男との間に三児をもうけ、同洋子は昭和二三年一一月一九日生れの女子で亡行男の長女であり、事故当時未婚で福岡大学に勤務し、同恭子は昭和二七年五月五日生れの女子で亡行男の二女であり、事故当時高等学校に在学し、同敏行は昭和三五年三月二七日生れの男子で亡行男の長男であり、事故当時小学校に在学していたところ、いずれも亡行男の本件事故による死亡により多大の精神的苦痛を蒙つた。

右の苦痛を慰藉するに足りる額としては、原告キミエ一六〇万円、同洋子、同恭子および同敏行各八〇万円をもつて相当と考える。

(三) 原告キミエの出費

同原告は亡行男の葬祭費三〇万円を支出した。

4  (相続)

原告キミエは亡行男の妻、その余の原告らはその子として亡行男の遺産を相続した。

5  (結論)

よつて被告に対し、原告キミエはその固有の損害一九〇万円と亡行男の損害の相続分三九二万八、四〇〇円との合計金五八二万八、四〇〇円、その余の原告らはそれぞれその固有の損害八〇万円と亡行男の損害の相続分一三〇万九、四〇〇円との合計金二一〇万九、四〇〇円ならびに右各金員に対する不法行為の日である昭和四四年四月六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、諸田橋の幅員が路肩を含めた道路幅より狭いことおよび被告が右道路の管理者であることは認めるが、その余の事実は争う。

3  同3のうち、(二)の原告らの事情の点は不知、その余の事実は全部争う。

4  同4の事実は不知。

三、被告の主張

1  本件事故現場の道路の状況は次のとおりで、被告の道路管理には何ら瑕疵がなかつた。

(一) 本件事故現場は、九州地方建設局福岡国道工事事務所の管理する一般国道三号線諸田二〇九番の一先の久留米方面から福岡市方面に向かつて左側で、諸田橋の約五〇〇メートル手前にゆるいカーブがある外殆ど直線で、前方の見通しを妨げる障害物はない。車道幅員は7.5メートル(片側3.57メートル)であるが、諸田橋の約一〇〇メートル手前から同橋までの間は車道外側線より左側に2.6メートルの舗装した路肩部分がある。

(二) 本件事故現場のように歩道を有しない道路にあつては、その路肩を車両が通行することは、道路の構造を保全しまたは交通の危険を防止するため禁じられている(道路法第四七条、車両制限令第一〇条)。

(三) 本件路肩部分の舗装工事は昭和四二年七月頃なされ、同時に車道外側を示すガラスビーズ入り車道外側線を引いて区画標識とした(道路法第四五条および道路標識区画線および道路標示に関する命令(昭和三五年総理府建設省令第三号)第五条に基づく。)。

諸田橋の幅員は車道幅員同様7.5メートルであり、その幅員の標識としては、諸田橋の四隅の親柱の各上部に二連反射鏡を貼付していたし、また各親柱の直前にいずれも視線誘導標(デリミエーター)を設置していた。

(四) 本件事故はむしろ、亡行男の運転上の過失に基づき起つた。

すなわち、自動車の前照灯は、道路運送車両の保安基準(昭和二六年運輸省令第六七号)第三二条によれば、正位置で一〇〇メートル先の交通上の障害物を確認できる性能を要求されているから、見通しのよい本件道路においては通常の注意を払つて運転するかぎり、少なくとも一〇〇メートル手前(久留米市側)から諸田橋付近の状況が認識できるはずであり、しかも車道の幅員そのものは同橋に至るも狭くなつているわけではないから、運転者が本件道路左側部分を車道外側線の外側にはみ出さないようにして運行していれば自然に橋に進入できるのであり、従つて正常な運転をしている限り橋を外れて転落する危険はなかつた。

ところで、亡行男は本件事故前夜、風邪気味で身体の調子が悪かつたのに、佐賀市で飲酒したこと、本件橋下に転落する直前、現場でブレーキを踏んでおらず、また、死因も胸部圧迫であり、自動車のハンドルが曲がつていたこと、同人は生前週一回位は自動車で久留米市まで通勤していたから現場の状況には明るかつたことの各事実に照らし、亡行男は居眠りまたはそれに近い状態で運転したものと考えられ、本件事故は一に亡行男の過失により惹起されたものである。

(五) 以上によれば、(1)車両運転者が道路法、道路交通法等の法規にしたがつて運行すれば何ら交通上の支障はなかつたというべく、従つて、本件道路の管理に瑕疵はなかつた。(2)仮に原告主張のごとき照明等の諸設備が設けられていたとしても、亡行男に前記(四)のごとき過失が存した以上、本件事故は避止できなかつたものであるから道路の瑕疵と本件事故発生との間には因果関係がない。(3)また、仮に被告の道路管理に瑕疵があつたとしても、亡行男の右の重大な過失は賠償額の算定にあたつて考慮されるべきである。

2  損害の填補

原告キミエは亡行男死亡後、同人の当時の勤務先である武井電気工業株式会社から弔慰金二五〇万円を受領した。これは本件事故の発生に対して給付されたものであるから慰藉料額算定に当つては当然控除されるべきである。

四、被告の主張に対する答弁

1  被告主張の1(二)は認める。但し、本件路肩部分は舗装され、その他の部分とは白線で区別されているにすぎず、しかもそれが2.6メートルの幅で約一〇〇メートルも続いているのであり、かつ、そこには通行を禁止する旨の何らの表示もなされていないのであるから、一般通常人にはこれが通行を禁止されている路肩とは気づかれない。また、本件現場直近の本件路肩類似の路肩部分についてみるに、路肩中にも横断歩道の表示がなされている。従つて、社会通念上は本件路肩部分は車の通行に使用されることが予想されていたものである。

2  同1(三)中被告主張の二連反射鏡および親線誘導標が本件事故当時諸田橋南西部の親柱およびその直前に設置されていたことは認めるが、その余の事実は不知。但し、右の反射鏡および親線誘導標はいずれも事故当時は埃に被われ用をなしていなかつた。

3  同1(四)、(五)の事実は争う。

4  同2の事実は認める。しかし、その金額を賠償額より控除すべき理由はない。

第三、証拠〈略〉

理由

一事故の発生の点(請求原因1の事実)については当事者間に争いがない。

二そこで、本件道路の管理の瑕疵の点につき判断する。

本件橋の幅員が道路幅より狭いこと、被告が本件道路の管理者であること、本件橋の南西部の親柱上部に二連反射鏡が設置されており、その親柱の直前に視線誘導標が設置されていたことは当事者間に争いがなく、また、被告主張の本件道路の状況、本件路肩の舗装工事、車道外側線の敷設の点(被告主張の1(一)、(三)の事実。但し、(三)については橋南西部の親柱上部の二連反射鏡およびその前部の視線誘導標設置の点を除く。)については原告らにおいてこれを明らかに争わないから自白したものとみなされる。

右事実に、〈証拠〉を総合すると次の各事実が認められる。

1  本件事故現場附近の道路の位置関係は概略別紙図面のとおりで、車道(路面)の西側に幅員2.6メートル、長さ約一〇〇メートルの舗装された路肩が本件橋際まで続き、その先は、山口川支流へいきなり落ち込んでいる、この路肩と車道とはガラスビーズを混入した白色塗料で引いた幅一五センチ位の直線(実線)で区分されていたが、それ以外には路肩と車道を一見して識別できる路面上の特徴は存しない、しかも車道の中央線も同様な白線(但し破線)で描かれている。

もつとも、本件事故当時、被害者の進路前方、本件橋の南西隅の親柱の直前に一本の視線誘導標が設置されていた外、右親柱上部には二連反射鏡が貼付されていたが、その他には右の橋付近の道路状況を示す標識等は何もなかつた。

2  本件事故前、右路肩部分を利用して他車を追越す車が現に存し、また、本件橋の欄干に衝突する事故が従前も起つていた。

3  本件事故前夜、亡行男は、風邪気味で身体の調子がよくなかつたが、佐賀市内で行なわれた小学校の同窓会に出席し午後九時半頃までの間に一合内外の酒を飲んだ後コーヒーを飲んで時間の経過を待ち、同一一時過ぎ頃本件事故車で友人らを佐賀市内に送つた後本件事故日時頃現場に到達した。

4  本件事故現場付近は見通しが良好で、しかも亡行男は生前右現場付近を自動車で週一度位の割合で通つていたから付近の状況は知悉していたものと思われるのに本件橋の際から橋下に転落する危険に直面してブレーキを踏んだり、あるいは進路を変更しようとした形跡もない。

以上の事実が認められ、右各証拠中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実および前記一認定の事実とくに本件橋の手前は直線で、前方の見通しを妨げる物はないことに徴すると、亡行男は飲酒もしくは疲労またはその他の事情のため注意力が散漫になり、前方注視を十分に尽さなかつたため、眼前に迫つた転落の危険を回避できず本件事故を招来したものと推認することができ、右転落は同人の過失に基づくところ少なからざるものがあると言わなければならない。

けれども、他方、被告の本件道路の管理にも次のような瑕疵があつたものといわなければならない。

すなわち、本件事故現場へ通じる国道三号線は、諸田橋に至るまで車道幅員7.5メートルであるが、諸田橋から南(被害者からみて手前)へ約一〇〇メートルの間は、車道西側(被害者の進路左手)に、車道と同じく舗装された幅2.6メートルの路肩が接続しており、車道と路肩とは、車道外側線を示す白色ペイントの線以外にこれを識別区分できる外観上の差異がないため、あたかも車道が同箇所において幅員10.1メートルに拡幅されているかの如き観を呈しているのであるから、この路肩部分とは気付かず、車道の一部と誤認して、(路肩は通常0.5メートル幅位であることは証人寺園達雄の証言によつて認められる。道路構造令七条二項参照)同路肩上を北進する車両が出る危険があることは、道路管理者ならずとも、容易に察知できるところである。

このように一般国道でありながら幅2.6メートルもの舗装路肩が車道に接して建設されるに至つた経緯をみるに、〈証拠〉によれば、右路肩部分はもと国道の法敷であつたところ、訴外福陽化工株式会社が同法敷の西側の低地を地上げして工場を建設した際、同工場への車両の出入の便を図つて、昭和三九年一二月一〇日付で道路管理者の許可を得て、同会社の費用負担、施工により国道法敷の地上げ、盛土およびU型側溝の新設工事を行ない、かくして車道と同じ高さまで盛土されて出来た幅2.6メートル、長さ約一〇〇メートルの路肩部分を側溝と共に道路管理者に引き渡し、道路管理者は昭和四二年六月から同年一〇月頃まで約五箇月かかつて、同路肩に車道部分と外観上区別のつかない舗装工事(路盤工一五センチ、コンクリート一五センチ、アスファルト五センチ)を施工した結果、舗装路肩と車道とは一体に見え、あたかも車道の拡幅を行なつたかのような、換言すれば、本件国道を北進して来たとき諸田橋で車道幅員が突然2.6メートル減少するかのような外観を呈するに至つたものであることが認められる。

ところが前示1のとおり、本件路肩は諸田橋際で尽き、舗装路肩上を北進して来た車両は、瞬時に停止あるいは回避しないかぎり、川の中に転落せざるを得ない運命に置かれるにもかかわらず、道路管理者は車道外側線および二連反射鏡、親線誘導標を設置したにとどまり、右のような道路状況であることを運転者に警告するための交通安全保持上の適切な措置を講じていなかつたものである。

たしかに、車道外側線(道路法四五条の区画線)によつて車道と本件路肩とは区画されていたし、車両はその車輪が路肩にはみ出して通行してはならないものであるが(車両制限令旧一〇条、改正後の九条)、事故現場手前の本件車道外側線(白色ペイントによる幅約一五センチの実線)と酷似した区画線もしくは道路標示は、車両通行帯境界線(道路標識、区画線及び道路標示に関する命令別表第六番号一〇九一一(一)によれば、白色ペイントによる幅一〇ないし一五センチの実線)、車線境界線(同命令別表第六番号二〇六一一によれば白色ペイントによる幅一〇ないし一五センチの実線)にもみられるところであり、とくに本件路肩は幅2.6メートル長さ約一〇〇メートルにわたつて車道と区別できないように舗装されていたのであるから(一般に車両の幅は右路肩よりも狭く、法令上も最大2.5ミートルに制限されている。車両制限令三条一項一号参照。本件被害車両はダットサン普通乗用車であるから1.5メートル前後とみられる。)、車線幅員(本件は道路構造令五条四項の表中第四種に該当)、区画線設置場所(道路標識、区画線及び道路標示に関する命令五条、別表第三番号一〇二、六条、別表第四番号一〇二)等に関する詳細かつ専門知識を保持していない平均的な運転者を基準にしてみれば、本件事故現場に至る路肩の特殊事情のゆえに、本件外側線を外側線と認識し得ず、本件路肩を車道の一部と誤認する危険は依然として解消せず、残存していたものと認めざるを得ない。

そこで被告もさにら二連反射鏡および親線誘導標を諸田橋の親柱に設置したものと推認されるけれども、〈証拠〉によれば、道路管理者として被告が設置したところの二連反射鏡とは、要するに人間の手掌大に満たない正方形の反射鏡二枚を橋の親柱の上部に横に並べて嵌め込んだだけのものにすぎず、しかも、その位置は人間の膝の高さ程度であり、そのうえ、この二連反射鏡の直前には、手掌大に満たない円形の反射ガラスを鉄製パイプの上端に取り付けた前述の視線誘導標一本が、ほぼ人間の腰の高さにあるため、二連反射鏡はその機能をかなりさえぎられる状態にあつたばかりでなく、二連反射鏡も視線誘導標も塵埃の附着によつて反射機能が害われるため、道路管理者はしばしばその清拭を余儀なくされる実情にあつたことが認められる。そして前掲乙第五ないし第一四号証の各一、二によつても、昭和四四年四月八日(本件事故の翌々日)およびその後に視線誘導標の清掃が行なわれたことは認めうるけれども、本件事故の直前の視線誘導標、反射鏡の機能もしくは清掃の状況は明らかでない。のみならず、たとえ、視線誘導標、反射鏡が車両の前照灯による照明を反射し得たとしても、それだけでは本件路肩を車道の一部すなわち車線と誤認して走行する運転者に対して、直進すれば川へ落ち込むという道路状況を認識させるには極めて不十分である。現に、前示2のとおり、本件事故以前にも、諸田橋の親柱への衝突事故がなかつたわけではなく、これについても本件路肩を含めた道路の特殊な状況が全く無関係であつたとは信じ難いところであり、また前顕甲第二号証および証人山本新太郎、同長野良彦、同寺園達雄の各証言によれば、本件事故を契機として所轄警察署からも、国道工事事務所に対して、適当な転落事故防止施設の設置を申し入れた事実も認められる。

そもそも道路管理者は、一般交通に支障を及ぼさないように、道路を常時良好な状態に保つように維持し(道路法四二条一項)、交通の円滑を図るため、必要な場所に道路標識又は区画線を設けなければならないし(同法四五条一項)、道路の破損、欠壊その他の事由に因り交通が危険であると認められる場合は、交通の危険を防止するため、区間を定めて、道路の通行を制限すべき責務もあるものと言うべきである(同法四六条一項一号)。これらの規定を通じてみれば、道路管理者として道路交通の安全を図る法律上の責務は、道路管理権の及ぶ全ての範囲について生じ、かつ安全の保持に必要にして十分な程度のものであることが要求されているものと理解しなければならない。この意味において、道路の構造上、交通事故の危険が予想される箇所については、現行道路構造令三一条の制定前においても、その防止を図るため、具体的事情に応じて、区画線および道路標識の二種に限らず、さく、照明施設等の有効かつ適切な交通安全施設が設置されなければならないことに変りはないものと言わなければならない。

ことに本件道路は、もともと法敷であつて車両の通行などあり得ない箇所について、訴外企業のため盛土を許可した結果出現した幅2.6メートルの路肩を車道の一部と誤認されるように舗装したものであるから、舗装自体はなすべきものであるとしても、この誤認から生じる事故(転落)の危険を防止するために必要かつ十分な安全施設を備えなければならないものである。これを具体的に言えば、前述の外側線、視線誘導標等の設置のみでは足らず、本件橋際に至つて右路肩部分が途切れていることを示すため、橋のかかり口付近にガードレール(さく)を設置したり、右の状況を十分に照らしうる照明設備を設置すること、あるいは少なくとも進路手前に路肩が途切れることを警告する何らかの標識(既成の標識に限る必要はない)を設置し、もしくは路肩であることを明確に識別できるように突起物で区切るなどの必要があつたというべきであつて、これらの設備のいずれをも施さない本件道路についてはその安全管理に瑕疵があつたものといわなければならない。

そして、亡行男に前述のごとき重大な過失があつたとはいえ、右に述べたような瑕疵がなかつたならば、本件事故現場までは事故も起さず正常に運転してきた亡行男としては、本件事故を避けえたであろうと考えてもなんら不都合はなく、右道路の管理の瑕疵と本件事故との間の因果関係はこれを肯定しうる。

三次に損害の点につき判断する。

1亡行男の得べかりし利益

〈証拠〉によると、亡行男は本件事故の前年である昭和四三年に給与所得として一一二万三、〇〇〇円を得たこと、昭和四四年以降も右の金額を下らない給与を得ることができたはずであること、同人は死亡当時五〇才の健康な男子であつたこと、家族構成は夫婦と子供三人であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで同人の年収一一二万三、〇〇〇円(配当所得は性質上、考慮しない)、就労可能年数一三年、生活費三割としてホフマン式計算法で現在求めうる得べかりし利益を算出すると次の計算式により七七二万〇、四四五円となる。

(1,123,000−336,900)×9.8212=

7,720,445.3

2原告らの慰藉料

〈証拠〉によると、原告キミエは亡行男の妻、その余の原告らはいずれもその子であることが認められるところ、原告らが亡行男の事故死により多大の精神的苦痛を蒙つたことは推測に難くないから、この事情に本件記録にあらわれた諸般の事情を合わせ考え、さらに本件事故の発生については亡行男にも相当の過失があつたこと、前述のとおりであるからこのことも斟酌して、原告キミエに対する慰藉料は八〇万円、その余の原告らに対するそれは各四〇万円が相当と考える。

なお、被告は、原告キミエが武井電気工業株式会社から受領した弔慰金二五〇万円を右損害額より控除すべき旨主張し、右の受領の点については当事者間に争いがないところであるが、これを控除すべき理由は全くない。

3原告キミエの出費

原告キミエは葬祭費として三〇万円出費したと主張し、前顕原告キミエ本人尋問の結果(第二回)によると葬儀を行なつた事実は認められるけれども、三〇万円出費したことを認めるに足りる証拠はない。

しかし、葬儀費用として、当時の経済事情を考えた場合、通常二五万円程度はかかるであろうことが経験則上認められるから二五万円の限度で請求を認容する。

四過失相殺の点につき判断する。

本件事故の発生については前述のごとく亡行男の過失も与つているところ、その事故発生に対する原因力を一〇分の七と考え、慰藉料以外の損害額からその七割を差引くこととする。従つて亡行男の得べかりし利益は二三一万六、一三四円、原告キミエの支出した葬祭費は七万五、〇〇〇円ということになる。

五結論

原告キミエが亡行男の妻として、その余の原告らがその子として亡行男の遺産を相続したこと、前認定三、2より明らかであるから、原告らの請求は、被告に対し、原告キミエがその固有の損害金八七万五、〇〇〇円と亡行男の損害金の相続分(三分の一)七七万二、〇四五円との合計金一六四万七、〇四五円原告洋子、同恭子および同敏行がそれぞれの固有の損害金四〇万円と亡行男の損害金の相続(九分の二)五一万四、六九六円との合計金九一万四、六九六円ならびに右各金員に対する本件事故発生の日である昭和四四年四月六日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを正当として認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(中池利男 山本和敏 石井宏治)

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